マラソンをきっかけに人の潜在的なパフォーマンス能力を引き出していくのが僕のミッション。

山手 悦郎

20代、某テーマパークのダンサーとして活躍。30歳を節目に現在のコンテナ会社に就職。会社員として働く傍ら、瞑想ストレッチや分子栄養学の知識などを組み合わせ、人の潜在的パフォーマンスを引き出すためのランニングセッションを実践中 。

座右の銘 体に栄養、頭に知識、ココロに徳。この3つがあれば人間って幸せになれる


■マラソン人生がスタートしたきっかけ、本格的にマラソンをはじめたのは40代後半から

ー山手さんと言えばマラソンですが、マラソンをすることになったきっかけって何ですか?

 実は本格的にマラソンを始めたのは2010年の東京マラソンになるのかな。今から9年前だから、47歳とか48歳だね。だからスタートとしては遅かったよね。

 はじめてのフルマラソンが東京マラソンで、本当にすごかったよ。大会当日、新宿都庁のスタートラインに立った時、紙吹雪が舞ったんだけど、その時の高揚感を今でも覚えていて。  もうね、どこまでもどこへまでも走ることができると思ったんだよね。

 あとは・・・、きっかけって言ったら、もしかしたら、あの手術が大きなきっかけになったのかも。実は、テーマパークでの仕事を辞めた後、新しい仕事に就いたんだけど夜勤が多かったんだよね。ある日、目が片方開かなくなってしまって。あいにくその日は日曜日で病院がやっていなかったから、点眼だけ差してそのままにしていたんだ。それで次の日仕事に行ったら「仕事やすんで病院に行け。」と言われて。


■医師から告げられた衝撃の言葉。「私には手に負えない。あなたは失明するかもしれない。」そこから気づいた健康という大切なもの。

 大学病院に行ったら、先生から、「私には手に負えない。あなたは失明するかもしれない。」と突然言われたんだよ。デリカシーのカケラもない言葉だよね(笑)。

 その先生から目の専門大学病院を紹介されて...行ったらどうなったと思う??      いきなり即入院! 入院中運動不足になるし、その解消のために運動をしようっていうのも、あったと思う。人間ってなんだかんだいって健康が一番。健康でないとすべてが良いようにまわらなくなってくるんだよね。


―大変な経験をされたんですね。フルマラソンを始めた大きなきっかけが、目の病気...そして2010年の東京マラソン。東京マラソンの思い出は、どうしてそんなに色濃く残っているのでしょうか?

 うーん。東京マラソンって、やっぱり特別なんだよね。東京を独り占めしているっていう感覚。3ヵ月間、この日のために毎日練習したり走ってきた。それで今ここに立てている自分、存在している自分が居るっていうのは、やっぱり強く感じるものがあった。

 走れるかなぁっていう不安よりも、「あぁ、これからやっと走れるんだ。」っていう興奮の方が強かったよね。 それまでに毎日走ってきたし、"走れない"という不安は全くなかった。


■人間って単純。いかに自分を演出するか。それだけで変化することって沢山ある。

 そうそう、東京マラソンで走っている途中、雪が降ってきたんだ。寒くて仕方ないはずなんだけど、それよりも楽しくて仕方なかった。おかしいよね。ポケットに入れている飴も上手に取れないし、口も動かない。それくらい寒かったんだけど・・・。 おそらく、いや絶対に、あの時の自分は"ランニングハイ状態"だったと思うよ(笑)。

 面白いのは、確か浅草過ぎたあたりかな?「もう、いくらでも走れる!」っていう気分で。折り返し地点で自分より後に来る人が見えてきた時、「頑張れー!」って声を出してしまいそうなほど、それくらい余裕があったよね。

 あとは、汐留の地点だと思うんだけど、ロッキーのテーマソングが流れてきて。ロッキー世代なら誰もが共感すると思うんだけど、ロッキーの曲が聞こえてきた瞬間、すっごく興奮して自分がロッキーになった気分だったのを覚えてる。

 ホント人間って単純で、いかに自分を演出するか、それだけで変化することって沢山ある。人生も同じだと思う。個々にみんながそれぞれのステージで、主役なんだよね。


―それにしてもマラソンの本格的スタートが40代後半とは驚きでした。某テーマパークのダンサー時代(20代)からマラソンをされているのだと思っていました。質問なのですが、テーマパークのダンサーになった理由って何ですか?

 今でこそ笑い話だけど、若い時、20歳くらいのときかな、暗闇の中に居たんだよね。

今思うと、将来に対して希望がなかったんだと思う。「このままどうなっちゃうんだろう」って思ってた。大学落ちて、やることなくて。自分を変えたいって思っていた。


■「このままどうなってしまうんだろう...」将来に対して希望がなく、暗闇だった20代

大手芸能プロダクションでの出会いを経て、そして人生がまた一つ、動きだす

  

 実はその時、赤面症ということもあって。人とちょっと話しただけで赤面になってしまっていた。人と話そうとすると赤くなる、そんな自分が嫌で嫌でしょうがなくて、とにかく自分を変えたかった。

 だから劇団XXXXに入った。 得意なものがなかったからね。


劇団XXXXですか!それまたスゴイですね。踊りやダンスなどなさっていたでしょうか?

 いや別に、踊りやパフォーマンスをやっていたわけではないよ。 実は美術大学を目指していたんだ。けれど結局断念して、"自分を表現できる"という意味で劇団に入ったんだよね。

劇団でダンスや演劇全般を勉強していたよ。そういえば、神田のやっちゃば(青物市場)で働きながら劇団に通っていたなぁ。

面白いのは、その劇団のマネージャーが他の某芸能プロダクションに入ったんだけど、そのマネージャーからクリスマスの1か月間だけという期限付きで自分のところに仕事の話が来たんだ。 そこからオーディションを受けたりして、いつの間にか某有名テーマパークでダンサーとしてのキャリアを築くことになっていったんだよね。


■いつまでもこの仕事はしていられない...。30歳という節目を迎えて

 22歳から30歳になるまでの8年間、テーマパークのダンサーとして活動してたんだけど、30歳って節目でしょ?いつまでもこの仕事はしていられないってずっと思っていたから、区切りのいいところで辞めることにしたんだ。

 そこから今の会社に入った。最初、すっごくキツイ肉体労働の仕事だったんだけど、資格取ってクレーン操縦とかができるようになると、肉体労働も減っていった。

 もちろんそこでパワハラに近いこととか詐欺にあったりとか、本当に笑えないくらい色んなことが起きたんだけど、それはまた別の機会にお話ししようかな(笑)

常々幸せだなぁと思うことは、「今なりたい自分になれている。すごく感謝。自分が好き。」ってことかな。


■逆境を乗り越えて、手に入れた大切なもの

―なりたい自分になれているというのは、どういう自分のことですか?良ければもう少しお話を聞かせてください。

 自分がしたいと思ったことができているんだよね。以前は徹夜の仕事が多くて、日曜や祭日もなければ正月もなくて、そんな生活を送っていた。

 確かに給料は高かったけれど、「時間」がなかった。   ーーーそれが嫌だった。


ーどうやって変えたんでしょうか?

 会社は辞めてないよ。職域を変えただけ。職域を変えたら、給料は下がったけど人間関係はよくなった。さっきも少し伝えたけど、職域を変える前までは上司が最悪だった。パワーハラスメントだよね。

 今思うと、中途半端な劣悪じゃなかったからよかったんだと思う。もし酷さが中途半端だったら... たぶん変に我慢しちゃって現状を変えることができなかったかもしれないから。

 

 職域を変えて、収入は減ったんだけど、その分「時間」ができた。今は人のパフォーマンスを最大限に生かす方法を模索して、そのために必要な勉強ができているんだよね。分子栄養学だったり、メンタルのこと、マインドフルネスとか。人間って ひとつのもので形成されているわけではないから。

 社会的健康というのがあるんだけど。地位、名誉、金銭的な健康も、もちろんあるけれど、人生の土台ってやっぱり健康的な体からなんだよね。その上で希望があるかないかで、人生の輝きって変わるんだと思う。  


■人のパフォーマンスを最大限に生かすために

―山手さんの今後の目標や展望をお聞かせください。

 その人が持っているもの、まだ表れてない潜在的なパフォーマンスを引き出すことをやっていきたいって思っていて。そのきっかけがランニング。

 マインドフルネスの瞑想や分子栄養学の知識、それらを組み合わせて、その人のパフォーマンスを引き出す。ランニングというのは、その人のパフォーマンスを最大限に引き出すための体力作り=きっかけなんだよね。

 あとは、最近"人と話すのが面白い"って感じるようになってきた。そのコミュニティをつくりたいって思ってる。

 ランニングが自分の基本だから。まずはそこを起点としてかな。


■楽しみたい。わくわくしたい。だから成長していたい。変化しつづける世界に居たい。

―山手さんが目指す世界(築きたい世界、見たい世界など)があれば教えてください。

 目指す世界は、 とにかく自分自身が常に成長することだね。変化しつづける世界にいること。 今の自分でとどまっていたくないから。常に理想を目指して変わっていきたいかな。

高みもモチロン目指すけど、今もちゃんと受け入れて。すべてはバランスだと思うから。

 それに"僕のまわりにいると楽しい"と思われるような人になりたい。うざったいなって思う人は、それはそれでいいじゃんって思う。それぞれの気づきやタイミングがあると思うから、それはある意味仕方のないことなんじゃないかな。 


インタビュー日:2019年1月~3月/記事掲載日:2019年6月8日

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